小説「宮本武蔵」のできかた ~ 吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
吉川英治の小説に「宮本武蔵」がありますが、その小説を書くにあたっての資料収集や取材、どういうふうに考えて小説にしたかが書かれている随筆があります。
それが「随筆 宮本武蔵」です。
小説「宮本武蔵」を読んだ後、この随筆を読みました。いろいろと興味深い話がありました。
武蔵に関する史実は少ない
武蔵の生涯に関して史実と思われることは、幼少期と晩年くらいで、創作されたものが多いのは意外でした。最強の剣士と呼ばれるくらいで有名なのに、何とも不思議なことです。この随筆が書かれてから80年近く経っているので、研究は進んではいるのでしょうけれど。
史実と創作
小説には、準主役として本位田母子が出てきます。実際にある本位田家の人物から、先祖にそのような人物は見当たらないと言った反論があったくだりは、ちょっと笑ってしまいました。本位田母子は、偉大な人物として描かれていないので、分からなくもないですが。
また、小説には禅僧沢庵がキーマンとして出てきます。史実として武蔵と交流があった証拠はないそうですが、出生地が武蔵と近所だったり、剣と禅の関係から、エピソードに組み込まれたようで、そこは吉川英治の小説家としてのすごさを感じます。
芸術家としての側面
武蔵が書いたと思われる絵画についても、随筆で触れられています。絵の師匠が居たのか居なかったのか不明ですが、水墨画なんかは独特の勢いがあります。
インターネットで検索するとすぐ観ることができる「古木鳴鵙図」などは、鵙(モズ)が止まっている枝の勢いなんか見ても、すごいです。何度か書き直したかもしれませんが、水墨画ですから、完成品は油絵などと違って修正がききませんし。
昭和二十年代の取材ぶり
武蔵の出生地との説がある岡山県の山奥に自動車で訪問される辺りは、時代を感じます。自動車を物珍しそうに眺める子供や、蓑笠や和服や紋付き袴を着ている人の描写があったりします。
巌流島のあるあたりの取材でも、要塞法という法律で写真やスケッチが禁止されている話も出てきます。そんな時代に書かれた小説なんです。
晩年
小説では巌流島の決闘で終わりますが、随筆は史実から晩年について書かれているのも、うれしいです。小説を読むと、”その後”も知りたくなりますから。
小説では出てこない武蔵の著作についても、難しい内容ですが触れられています。
一乗寺下り松の決闘の着想
小説では、実際に見たかのような躍動感に溢れる描写があります。万端準備を整えた数十人の吉岡門下と戦って勝つなんて、とても無理そうなんですが、小説を読むとありえそうに思えてきます。
その着想が、現地を取材することで生み出されたことが、随筆を読むことでよく分かります。
この本は、小説「宮本武蔵」を読まれた方へ、武蔵の余韻を味わうことができるのでお勧めです。